8月29日
山の修行の信念体系のお話し 様々な信念体系の意識で探索をしている時に 山の修行をしている方々の信念体系を見た時がありました。 なんのこと? どういうこと? と思われると方もおられるでしょう。 ここでは詳しく説明しませんが 忍者🥷なら忍者 神父さんなら神父さん それぞれの信念体系があって 亡くなられてもその信念は変わらずに その信念領域に留まっておられる方がいます。 色んな信念体系の中で わたしはなぜか? 意識で 山岳信仰、山岳修行の信念体系に行き そこにいた方をを見せられたのです。 それは、何年も前の事でしたが わたしが見たのは洞窟のようなところで 祈りを捧げている方のようでした。 がむしゃらに身体を酷使して 山を走り滝に打たれて祈りを捧げていたのです。 足は擦り切れ傷だらけやせ細っていました。 どんなに修行しても その方の心のうちには絶望感があったようです。 自分に打ち勝つ事が出来ない。 自分を制する事が出来ない。 そんな思いだったようでした。 そして食を断ち 餓死していったようなのです。 わたしが鞍馬山に行ったことと (アメブロに書きました) この 山での修行の亡くなった方の信念体系の領域にいた方を 意識で訪問したことは何か関係があったのかもしれません。 いくら行動で示しても 辛い過酷な修行をしても この方は 自分の心から解放される事がなかったのです。 自分の心から自由になる。 どうしたらいいのでしょうね…。 自然を感じ太陽や月や大地の声を聞くことで ある時ふと わかることなのかもしれません。 太陽や月や星々を見上げる。 大地を歩き、この地球を感じる。 自然と一体になって静かになる。 この自分が自然そのものので 一部であるとわかる。 何もしなくても 最初からすべて受け入れられていた。 愛されていた。 満たされていた。 とある時わかる…。 山で修行されていた方々を 天狗👺さまも見ておられたのでしょうか。 宇宙とつながる時に 自然と力は流れる。 ギュッと握りしめた信念を パッと離してしまえば その信念は ただ自分が思い込んでいただけだと知る。 山の厳しい修行で 悟りを開いた方ももちろんいらっしゃると思います。 しかし中には 挫折をして亡くなった方もおられるのかもしれません。 今日もあいまるのホームページのダイアリーまで お散歩下さりありがとうございま...